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神田寺の前身である法禅寺と安民寺が創建されてから、400年~600年の歳月が流れています。
・法禅寺は天皇家が二つに分れていた南北朝時代、品川に創建された浄土宗の寺で、以後、道三河岸、
馬喰町、深川、神田と五回所在地が変りました。
・安民寺は徳川家光が三代将軍になった寛永のはじめ、霊岸島に開創された浄土宗霊巌寺の学寮で、
明暦の大火で深川に移りました。
明治になって安民寺の住職が法禅寺の住職を継ぐしきたりができ、先代圓諦老師が法禅寺三十五世、
諦道が安民寺二十三世のとき東京大空襲によって罹災、両寺とも焼失。先代の英断で神田に寺を移し、
地名を名のる寺として今日に至っております。
◆神田寺/法禅寺・安民寺略寺史◆
1384年 |
法禅寺の創建。 誠蓮社言誉定実によって品川に創建。 |
1457年 |
江戸の築城。後花園帝長禄元年に太田道灌が江戸城を築く。 |
1593年 |
法禅寺、道三河岸へ移転。家康に召された長蓮社英誉心阿が寺を道三河岸(大根河岸・現在の富士銀行本店付近か)に移転。日照山法禅寺と号す。城近くのため、正月三箇日は鉦鼓をならさずという伝えがある。なお、現在品川には同一開山になる臨海山法禅寺がある。 |
1621年 |
法禅寺、馬喰町へ移転。幕府の命により、後水尾帝元和七年に浅草橋近くに移転。俗称・極楽寺とも言われた。 |
1624年 |
安民寺、霊巌寺の一学寮として創始。霊巌寺は寛永元年(1624年)知恩院32世、霊厳上人により、将軍家光の時、霊岸島(現在の中央区新川)に開創され、百余の学寮があり寮主名で呼ばれていた。 |
1657年 |
明暦の大火で両寺焼失、ともに深川へ移転。霊巌寺は浄土宗関東十八檀林(学問所寺院)の一つ。法禅寺は江戸城にて年頭の礼等、単独拝謁の待遇を与えられていた十一格寺の一で、深川三御前の一と称された。所在は現在の東墓地付近、以後江戸図には必ず記載されている。 |
1690年 |
千住農地の寄進。元禄年間に江戸中橋(現在の兜町あたり)住の大檀越・伊藤太左ヱ門、子孫なきをもって深く仏門に帰依し、千住在の三丁歩の田畑を求めて法禅寺に寄進。 |
1746年 |
安民窟、安閑窟住職の初出。寺の過去帳の記録によれば安民窟は白辨が桜町帝延享三年に持寮。安閑窟は快愍につづいて智光が後桜町帝明和四年に持寮となっている。 |
1870年 |
両窟の合併・安民寺の誕生。明治三年、安閑窟二十一世圓察が安民窟十九世となり両窟を合併、安民寺と称す。 |
1923年 |
関東大震災で両寺焼失。仮屋にて復興。 |
1928年 |
法禅寺本堂再建。三十四世諦常、昭和3年富山県井汲より総欅づくり間口七間、奥行九間半の本堂を譲り受けて移築。防火のため、開口十六間、奥行七間の石掛塀を築いた。 |
1945年 |
第二次世界大戦で両寺罹災。昭和20年3月9日夜半よりの米軍による東京大空襲により、両寺焼失。 |
1947年 |
神田寺建立と両寺の合併。三十五世圓諦は、戦後占領軍によるキリスト教への強力な布教援助が始まり、仏教の衰亡を憂い都心部での布教を決意、現在地(強制疎開跡地)に土地を求め、地名を名のる寺(神田寺)として建立、両寺をこれに合体した。 |
1982年 |
浄土宗への復帰。神田寺は各宗僧侶による一致協力した体制をとるため、建立後単立寺院として活動したが、昭和48年圓諦遷化後、仏教界の復興も目ざましく、浄土宗への復帰を衆議に諮りこれを決定した。 |
1984年 |
開創六百一年祭。当寺の所在地は、元中元年の創建より品川にて209年、道三河岸にて28年、馬喰町にて36年、深川にて290年、神田に移って38年となった。幸い檀信徒不変の信心を得て今日を迎えたことは教祖釈尊、宗祖法然上人の慈恩によるものであり、法灯の護持に一段の精進をもって臨まんとするものである |
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